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暫定コラム〜「風博士」は小谷部全一郎か?

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拙作「ハイパー・テクスト評釈『風博士』」(以下「評釈」と略す)に於いて、「成吉思汗ハ源義経也」の著者、小谷部全一郎が「風博士」のモデルである可能性を示唆したのであるが、今回は小谷部関連の貴重なる資料の多くを見ることが出来たので(註1)、その調査報告をお届けする。

但し、まずお断りして置かねばならないが、特に胸躍る新事実が出てきたわけではない。寧ろ何も出てこなかったことの結果報告なのである。それ故、大西洋の如き寛大な心を以て以下をお読みいただくか、さもなくば武士の情けで見なかったことにして単に捨て置かれんことを希うものである。

さて、今回の調査で私が期待していたのは次のような疑問の解決である。

  1. 「バスク」のネタ元は小谷部の「日本及日本國民之起源」なのではないか?
  2. 小谷部が「風博士」であるならば、「蛸博士」に当たる人物が具体的に見出せるのではないか?
  3. 安吾(或いは「風博士」)と小谷部との接点をより明確にすることが出来ないか?
  4. 「諸君」すなわち「読者」の問題を小谷部とその読者との関係から考えてみることが出来るのではないか?
  5. 小谷部と時代状況をめぐる諸問題が、「風博士」にも何らかの影を落としていると言えないか?

ざっと、上記の如き疑問を念頭に読んでみたのであるが、これが悉く空振りであった(笑)。これも、順に結果を書いてみよう。

  1. 「バスク」のネタ元が何であるかは以前から疑問に思っていたので、小谷部の著書がそれではないかと期待して読んだのであるが、残念ながら一切そうした記述はなかった。小谷部は「日本及日本國民之起源」では、「聖書」を元に日ユ同祖論を展開しており、概ねパレスチナあたりまでの地名は沢山出てくるが、それ以西は殆ど言及がないのである。
    ちなみに同書は函入りの美麗な装丁の本で、内容も所謂トンデモ本として読めば大変面白かったのであるが……。特に、日ユ同祖の根拠の一つとして顔相が似ているというわけで、マルクスとアイヌ民族の某氏の顔写真が並べられている(これが「よくぞ見付けてきた」というくらい似ている)のなどはつい笑ってしまった。というまるで関係ないことをつい書いてしまうくらい収穫無しであったと理解されたい(笑)。
    なお、函に書かれた惹句がある意味一番「風博士」っぽいので、引用しておこう。

    「▼不可解なる現代日本の地名・人名・風俗・習慣 是等の起源は何に由来するか?
     ▼三千年の神秘的憶説を打破し日本民族の根本起源を闡明す」

    勿論私がここで念頭に置いているのは「風博士」のこの箇所である。

    この珍奇なる部落は、人種、風俗、言語に於て西欧の全人類に隔絶し、実に地球の半廻転を試みてのち、極東じゃぽん国にいたって初めて著しき類似を見出すのである。これ余の研究完成することなくしては、地球の怪談として深く諸氏の心胆を寒からしめたに相違ない。而して諸君安んぜよ、余の研究は完成し、世界平和に偉大なる貢献を与えたのである。」

    まあ、似てないこともないって程度なんですけどね(笑)。
    あ、大事な「発見」についてわざと書き忘れるところだった(笑)。私は「評釈」で、小谷部全一郎の読みを「おやぶ・ぜんいちろう」であるとしていたが、「日本及日本国民之起源」の函・扉等に見られるローマ字表記から、「Jenichiro Oyabe」、つまり「おやべ・ぜんいちろう」と読むのがどうも正しいようである。これは全くの私のミスです。前回調べたときのメモではちゃんと「おやべ・ぜんいちろう」となっているのに、HTML化したときに何故か「おやぶ・ぜんいちろう」だと思い込んでタイプしてしまった模様。私自身のミスの「発見」、お詫びして訂正させて頂きます。

  2. 蛸博士のモデルについては、「評釈」で金田一京助を挙げておいたのであるが、「成吉思汗は源義経に非ず」や「成吉思汗は源義経也 著述の動機と再論」での議論の応酬を見ると、蛸博士は沢山いそうなのである(笑)。読んだ感じでは中島利一郎や中村久四郎、高桑駒吉等に対して小谷部は吠えまくっているようで、特に中島に対しては「同君の謬説妄語は之を読むのみにても余は実際嘔吐を催し、気色を損ずるものあれば、到底垂教の筆を執る勇気も出でず」とまで書いている。あ、他にこんなのもあるぞ。

    「今回は幸にも諸氏が起つて余の説に反対せられたるより、茲に端なくも余の隠れたる事実の反面が世に現はるヽに至りしも、若し不幸にして余の死後に中島某の如き浅薄なる観察者ありて、余に対し如敍の筆法に依りて書物に書き伝へたりとせんか、其れは其の儘実説として永世に亘り人に信ぜられ、而して余は後世の嘲笑を招ぐべかりしなり。義経高館自刃の説亦之に類するものなからんや。而して諸子が真理に反対するは、彼のコロンブスの地球説に対し、当時西班牙の諸学士が反対せしと同一の結果を来さずんば幸なり。」

    「浅薄」とか「真理に反対する」とかの言葉遣いがちょっと「風博士」っぽいので長めに引用してみたのだが、だからといって、中島を蛸博士にするわけにはいかぬのは無論で、小谷部は彼の説に反対を唱える者全てに対して基本的にはこの調子なのである。どうもモデル捜しはあまり意味があるとも思えないし(最初から乗り気ではなかったのだ)、これ以上の追求は止すことにした。

  3. 小谷部批判者の一人、高桑駒吉は東洋大学の講師だったことが「成吉思汗は源義経也 著述の動機と再論」の中で触れられており、これが出た大正十四年と言えばちょうど安吾が東洋大に入学の時期と重なったりするわけであるが、だからといってここに接点があるとは言えないわけで、寧ろ素直に「安吾は小谷部の本を読んでいたであろう」とのみしておくのが○マルであろう。

  4. 「読者」に関しては、小谷部には多くの読者が味方となっており、その点で風博士とは鋭く対立している点を確認した。その読者からの「励ましのお便り」が、「著述の動機と再論」には多数引用してあるのだが、これらの中には「風博士」を思わせるものが若干含まれている。例えば、「松村介石氏」はこう述べる。

    「……成吉思汗は確に源義経に相違ないと思ふ。今や我日本が世界の各方面より圧迫せられ脅威せらるヽの時に当り茲に此著を見る、痛快とも何とも申様がない。果然日本人は決して退嬰姑息の人種ではない、徳川三百年の鎖国政策が大に今日の日本人に累したるとは云へ、元来怒涛を犯して我が日本に移住したる民族の子孫であるから其天下を股にかけて横行せんとする気性が其血管に漲つて居ることは又疑ふべくもない。然り成吉思汗は確に我が源義経である、我が源義経は確かに彼れ成吉思汗である。唯だ此一事以て我が今日の七千萬同胞を奮起せしむるに足ると思ふ云々」。

     例の「然り風である風である風である」を想起せずにはいられないわけであるが、これなどは、いわゆる実証科学的な意味では確かに「風博士」と同様に非論理的(或いは超論理的)ではあるのだけれど、その背後には非常に人間くさいというか、生臭いというか、そうしたものがありありと感じられるのではないだろうか。それは、「衆議院議員津崎尚武氏」の次のお手紙により明らかに表れているのでこちらも引いてみよう。

    「……我等は正に成吉思汗の我が源義経なることを直覚し、為めに我等の血液は沸きかへり、我等の心臓は躍るのである。斯くも尊き世界的日本の歴史を強て抹殺せんとする愚劣極まる史学者輩の説は、之を根本的に排除せざるを得ない、求めても世界の英雄は我が民族より出でたりとすべきものなるに、證跡の明瞭なるもの、殊に蒙古には鎌倉時代の巻狩の風習までをも今日に維持して其の然るものなるを暗示しつヽあるに、其足一歩も是等伝統の地を踏まず、単なる机上の空論に拠りて之を排斥するが如きは、国家の進運を阻害するの甚だしきものと云ふべきである云々」。

     既に繰り返し指摘のあるところであるが、小谷部が多くの「読者」という味方を得たことについては当時の時代背景、特に世界に伍して立つためのプライドの拠り所となるような何かを求める雰囲気を抜きにしては語れないと言えそうである。それが非論理的であれ、ナンセンスであれ、それに飛びつく心情にはわかりすぎるくらいにはっきりした理由があった。だが、「風博士」のナンセンスはそうした理由付けを拒んでいると思われるし、無理に両者を比較してみるならば、そうしたナショナリズムを逆照射していると言えるかも知れない。なにしろ、博士の研究はその言に従えば「世界平和に偉大なる貢献を与え」るものなのだから。

  5. 時代状況との関連から何かを言おうとするならば、例えば上記の如く右傾化する日本社会の非論理性を撃つような更なる根底的なナンセンス、といった見方が一つには出来るかも知れない。但し、それはあまり面白いとは思えないし、それに尽きてしまうような作品でないのは明らかだと思う。今回の調査で私が感じたのは、安吾が小谷部全一郎を読みそれを踏まえて「風博士」を書いたのだとすれば、明らかに安吾は小谷部の著書を今で言う「トンデモ本」として面白がって読んだ筈だということである。それはとても健康的なことだ。生臭い部分も当然今以上にはっきり読み取れたと思うが、それ以上に小谷部のあらゆるものを顧みずに自説をひたすら主張し続けるエネルギーの持続を感じ取り、それを純化する形で「風博士」に結実させているという気がする。つまり、それは時代状況を超えてある種の普遍性を獲得するまでに結晶化しているというのが、今回の調査を通じて感じた、あまりにもありきたりで当たり前の(笑)印象であった。
daf/pfe01774@niftyserve.or.jp 1998/07/25


(註1)今回の貴重な資料の全てを花田俊典氏にお貸しいただいた。嗚呼それなのにそれなのに、こんな中身のないコラム一つにしかならないなんて……。深く感謝申し上げると共に心よりお詫び致す次第であります。

◇貴重なる小谷部関係書の数々……(画像をクリックすると、何の意味もなく大きな画像になります。戻るときはブラウザの「戻る」でどうぞ)

小谷部全一郎著 國史講習會編 小谷部全一郎著 小谷部全一郎著 内田彌八譯述
「成吉思汗ハ源義経也」 「成吉思汗は源義経に非ず」 「日本及日本國民之起源」 「増補改版 成吉思汗は源義経也」 「義経再興記」
(冨山房 大正十三年十一月十日発行) (雄山閣 大正十四年五月五日発行) (厚生閣 昭和四年一月十六日発行) (厚生閣 昭和五年十一月十一日発行) (明治十八年三月出版)
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